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トランスメディア提供アイコン01 メリデンTriumphから ヒンクレーTRIUMPHまで その1

私とトライアンプの 最初の出会いは先輩和歌山TT塩崎氏の59年 トラ110
「前年1958年はBMWR69でドロ沼を走って散々」
 
2度目の浅間クラブマンレースのコース50R コーナーでTriumph110
を土手に倒しかけ コース越しに大声で  「もうあかんわ~」 「どうしたの?」
と話した1959年が, 始まりでした。

25才の会社員だった私に取って Triumphは 高嶺の花だった。

ところが、次の年私が出た朝霧全日本MXを見物に来ていた塩崎氏にボンネビルやで
乗って見いへんか?  先輩の好意で 1960年のボンネを朝霧の高原の道を走らせて
見ることが出来た。  実際にTriumph に跨ったのはこれが始めて,性能を引き出して
試乗するには・・・私はヒヨコでした。『このボンネはその年1960 宇都宮のレースで好成績』
をあげたボンネなんだ!
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以来頭の中は 何時かはトライアンプ 「そのため内職をした事も」
この XS650 も 私の心の中では, トライアンプだったのです。

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ココは 春日井の庄内川 TRIAL も モトクロスも ここから・・・1970年頃, 今は 野球場が4面で
バイク乗り入れ禁止。 少し上流にはイチローが練習した愛工大名電のグランドもあり・・・・

1970年代 35才 土地も買い家も建てたが ローンの支払いでYAMAHA XS650
が精一杯 ナゴヤコマンドクラブに籍を置いていたが,Triumph はタッタの1台。
BMW CB750 W-1 が多かった。 1台のトラは 1969年ボンネだった。
いい音してたな~~

周りが75/5 が多くなり私も 先輩のお下がりBMW75/5 を譲り受け横道に,それた
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1度、1975年頃,春日部市から 1961年のTR-6 を買った事があるが!
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圧縮落ちてた エンジンは故障無く 走ったが クラッチが切れにくい・・・
バラシてみたら もうプレートが 駄目寸前,かといって,ナゴヤではもう部品調達が無理
そんな頃  故浅場さんと知り合って居たらな~~と思う。 部品は幾らでも 出たのに・・・

そして 次のTriumph に出会うまで「20年が過ぎて行った」

その間に トラT120は姿を消し メリデン工場は閉鎖,トラ生みの親 E・ターナーも逝き
1983年には デポン ”ボンネが誕生して Tー140 750ccを生産続行
1990年には ヒンクレー工場から 3気筒を主体の 新生TRIUMPHを生産開始していた。

1994年 会社の嘱託依頼を振り切って 無事定年退職 即 待っていたTRIALにのめり込む
1996年1月 早くも左肘骨折 入院。 見舞いに来た  誰かが持ってきた
クラブマン誌2月号が 「永遠なる直列2気筒 ”T” 」 だった。

別モ に英国の ウイルソン商会の広告を発見,
良さそうな57年TR-6 を発見してFAXでコンタクト,
現金を電信振込みして,近くの名古屋空港税関から入荷の電話を受けるまで
たったの 4日間だった。

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ナゴヤ空港まで15分軽トラックで 取りに行ってきた。  ↑ ポンドが100円の頃
で ロンドンからの空輸料金 11万円 安かったなあ~~
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前の事もあり 購入後すぐに 東京の浅場さんに精密診断に出したTR-6
タンクはガス」漏れがあって アメリカの友人に頼んで3.4ガロンタンクのデットストック
を送ってもらったり。相当のお金が出ていった。 
しかも浅場さんにコイツはシリンダーヘットを交換しないと。 駄目だよ  
だからベッタイは タイムトンネルのパレードランぐらいで我慢したほうがいいよ
外見だけで個人輸入なんてするもんじゃあないね。

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1963年のユニットの TR-6が有るから これを乗用にして 57年はヘットが買えるまで
車検は取らず サーキット専用にしては?  と諭され 1963年TR-6に乗ることに。
63TR-6の Fブレーキパネルは 68年用をオーストラリヤで買って帰り カスタムした物。
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     国設御岳スキー場 頂上 まで登る [2240m]
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タンクは赤に再塗装してあるが元々は白 ただ63年式だけが前後18インチホイルだった
このTR-6は良く走った 東京~下田~名古屋 ・ 名古屋~木曽の御岳山 ・ 志賀高原
・妙高高原,  と何の不安も無く Triumph で ソロ ツーリングも出来た。

ある日浅場さんから1966年の T120 ボンネが 有る但し全バラだから フレーム塗装
から スポークをSUSにする事も可能 1966年は 市販車はめづらしいから・・・どう?

はい! お願いします。 これで トラが3台になる。66年ボンネの仕上がるまで1年半かかった

その間に 浅場さんと2人して オーストラリアまで ベッタイ の8本スタットシリンダーヘット
探しに2週間  行っていたが どれもこれも スタット穴に亀裂入りで 手ぶらで帰った。

57年のTR-6 は その間もガチャガチャ 言いながら油漏れも無くクローズドを走り廻った
しかし 手放す間際まで 車検を取ることは無かった。
66年が仕上がるまで 時々東京まで足を運んだ, アイボリーに朱色のラインが艶かしい。

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英車の集いには 奈良の高野山  信州の清里 と走り廻った。
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御岳 スキー場  リフトテッペン。
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そうだ 雲見の忘年会にも走った, 奥飛騨新穂高ツーリングは帰りにオイルが噴出し
携帯電話で 浅場さんに通信教育で 修理して帰った。ドライサンプのOIL戻りを強制でシリンダーヘットに配管した。浅場さんのレース経験からの改造だった。

そんな訳で我が家の車庫には Triumph が3台 並んでしまった。
1957年TR-6  63年TR-6  1966年ボンネビル  妻あきれる!

話は3年ばかり さかのぼるが・・・・・
我が家の近くに Sibata ・Motrs と言う BMWデーラーがある。(あった)
1994年中頃  ショウウインドー に 1969年のボンネが並んだ・・・・・・・・・
まだ私がTriumph を持って居ない頃だ  OH! 「これ売り物?」 いやこれはデスプレー
です。 なんで? BMW屋に トラなの? 「うちの副社長がアメリカで乗っていたもので・・」
売らないのです!

所が・・・我家にトラが 3台並んだ年に S・Motors  の番頭が我家にやってきた。
「実はDUCATI の代理店も やることになり Triumph を売りたいが相場は?」
の相談だった。 当時135万円だった 「でも車検通してだよ」 って帰した

しかし最終とも言える 69 ボンネ, ショウウインドウーを眺めて 指を咥えていた私がいた。

2ヶ月ぐらい過ぎて 番頭がまたやって来た。  売れませんね~!!
そりゃそうだろう BMWデーラーのウインドウに 3年以上 寝かせてあったのだ・・・・


浅場つながりで 交際のあった 友人が 63 TR-6 が欲しい・・・・けど金は115マン
でも 若い彼は ホントウにトラが好きだった。  えーいい 持ってヶ~(笑)
63 TR-6の クロノメーターは オーストラリアに送って オーバホール したばかり
フロントブレーキパネルは 68年式のを 移植したばかり・・・・・すごい赤字。
そうなると車庫は1台分空きができた!


話は 中断。  最近 W650 と TRIUMPH ボンネ900 を 乗り較べてみた
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W650 と TRIUMPH900 比較 これには 深い訳があるのですが・・・・・・・後記とし

今まで 大型バイクを乗って来た 感想を イチ・ユーザーなりに 書くと。

BMW    良く出来ている さすがドイツ製だな~けど 大きいなー重いな~でも安心
Triumph  やっと長年の夢がかなった。 出来れば 1960年代に乗ってみたかった
ハーレー  すべてに アバウト もっと若くて体力が有った頃なら好きだったかも
Ductti   これぞ加速感 カルチュアーショックだっM900, 水冷モンスターは4気筒とおなじ優等生
ヤマハXS650  トライアンプの代役・・・・TX750のほうが重いけど 長距離わよかった。
CB750    私が乗った只1台の 4気筒「エクスクルーシブ」 何とも評価なし。

W650は, 春日井から名古屋市の南区まで 搬送のため乗っただけ約 1時間・・・・・
感想  自分が軽い乗り易いと いって常用してるR80ST が うわ~負けたと感じた。
ヤマハのTX 750に通じるものを感じた  当然異論のある人は一杯居ると思うけど。
とにかく 優等生乗り易い。 しかし発売以来12年 なんの進歩も無いのはいい事か?
あぐらをかいてるのか?

TRIUMPH 900, W650の兄貴  これも優等生 ライポジは 私はTRIUMPHが良かった
これも約 1時間乗り回した高速も力強い。 Top 1500回転からの加速もスクーターの様に
スムーズだ。 W650にはない力強さ感じた。

Triumph T120 と比較しては いけないと思う  時代が違うから
選ぶライダーのマシンに対する 要求も違うから。  900は市街地の渋滞の走りになると
クラッチが重くなってきた。  しいてこれは英国製なんだ・・・・と感じるものはないかな~

「如何して W650 と TRIUMPH900 の話を並べたか」 !

96年頃 浅場さん宅から 不動車のT120 68年式が発送された 「行き先は川重だよ!」
と 浅場さん。  4年後W650は 発表された。 それから多分99年秋頃 コロラド州 デュランゴ
と言う 山の中で TRIUMPH のテスト隊 と 3日同泊だった  覆面したトラは2気筒 3台
毎朝早く出かけ 暗くなって帰ってきた。 早起きして見ていたら トランポの中に W650が・・

新生TRIUMPHが発表されたのは 1年後だったと思う。
Triumph~W650~TRIUMPH  最初は900では無かったと思う。 面白いでしょ!


      「  S・モータースの番頭さんの話に戻ります。 」

  「あれ如何ですか?」 以前欲しいって言ってたし~ 135マンでどうです?

「うん思い入れは有るよ」 135万円は俺が付けた値だ・・あと30万・・165万出すから
腰上は完全オーバーホールして車検取る事。・・・・番頭よろこぶ!  バカだね~お人好し

約1ヶ月後 1969 ボンネはやってきた。 まだエキパイの連絡が付いている。
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あら? 63TR-6 が嫁入りする前に69年は来てしまったのだ 57年TR-6は車庫の奥
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そうだ 1時はTrimph が 4台の期間が あったのか・・・・・・
この3台 どれも車重170kg 46ps 63と66は 同じフライホイル・・69も同じと思った・・
63と69にはフロントブレーキにエアースクープが有るが 63年のは後付け。

来たばかりの69年で行ったのは 野麦峠 御岳高原 有頂天こいつはピクUPがいい。
軽く回転があがった? 1泊ツーリングして無事帰ってきた。  が(*_*)~
休憩後 キックが 下りない? ? S・モタースに電話 取りに来てもらう ツーリング中で
無くてよかった。

翌日電話  行ってみる ボンネは腰上分解してあった。

なんと言う 有りえない・・シリンダースリーブが・・クランク室に落ちている ????
オリジナルシリンダーにボアUPしてスリーブ挿入
しかし それがクランクケースに 落ちるう~~??

それにしても 購入条件の腰上OHはやったのかい?  駄目なスリーブに気付か無かっのか?

常識ではスリーブは最上部に鍔があって落ちるはずの無いもの。

当然整備を担当した社長,番頭 は 平謝り  「スリーブを作り変えるから時間下さい」

1週間ほどして「ピストンクリアランスは 如何ししましょう」 電話があった。

その時私が 浅場さんに 電話で聞いて見ればよかったのだが・・・相手はプロ
「私は分かりません よろしくお願いします」・・・どうやらこの時 クリアランスを適切に取って
無かったようだ。 出来上がった トラは45km/h でピストン焼き付きを起こしてしまった。

後で判った事だが ヘボのピストンは 1.1mmの間隙が必用だそうだ。 S・モータースは
ボーリング屋に  0・7mm と伝えたと 聞いた。

少し走ると ピストンが 抱きつく感じが分かるので その度にクラッチ操作で逃げて
S・モータースへ 「 馴らしで 焼きつくのでは 乗れないよ 」と言って 置いて帰る。

我家へは歩きで 20分の場所なんです。

どうやらシリンダースリーブをホーニングして組み上げ クリアランスも大きく取った様子。
2~3日して 69ボンネは 届いた。 「テスターにかけアイドリングも大丈夫です慎重に馴らし
やって下さい 今度失敗したら 責任持ちませんよ」

オイオイ 何だよミスを繰り返してるのは お前達だろう!!

とにかくエンジン掛け 走りだす 2000r/m を越えると ノッキング ミスファイアー?

「これでは乗れないよ アイドリングはOKでも 走らないボンネは 受け取れないよ」
「置いて行くから ちゃんとしたら電話ください」  S・モータースには左シフトを乗れるのが
居なかった。  なら定位置でアクセル開てみるがいい。

明くる日 番頭から電話 Triumph 出来てるから引取りに? 「来て下さい」 なんだと?
165万円も 出してる客だぞ!  迎えに来い! とはいわず 歩いて S・モータースヘ。

「オイ エンジン掛けるから 社長~立ち会え!」   社長出てこず番頭が立会する。

1・2の 3 パランッ  1発で掛った アクセルを開けて行こうとした時~ ドーン(爆発)
シリンダー本体が  ちぎれて タンクまで 突き上げた。

ボアUP スリーブ挿入のため シリンダー削りすぎて シリンダー本体が爆圧に耐えられず
ちぎれてしまったのである。 シリンダー下部はクランクケースに残り 上はシリンダー
ヘットと共に 千切れ上にあがってしまった。

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本体シリンダーは まるで紙の様に ペラペラ 中のスリーブが丸見え
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この状態では 点火時期 決めても 回転あげると タイミング狂うわけだ!!

       これは 1998年  10年前の  事件です!

こんな事が店先で おきて居るのに社長は見に来ない。 同席した番頭ひきつれ店内に・・・
しかし 社長雲隠れ・・・・
どうしょうも無いから 責任者番頭に 何とかして呉れるよう頼み 歩いて家に帰る。

その夜 番頭がやってきた。 「私が責任持ちます Triumph を東京の浅場さんに修理頼んで
下さい」
「え? それは社長の指示か? どうゆうわけでお前が自腹きるのだ」  「いえ社長はこれ以上面倒みれない引き取ってもらえ」  と言うわけです。

 「 私は トラを 修理に出したわけでない  S・モータースから買ったのだよ !」

しかも 135マン に  整備乗り出し費用として 30マンも 余計に支払っているのだよ!
まさか・・・・番頭さん 30マン  ネコババ?

「とんでも御座いません。 店の領収書も見てください とにかくこれから先は私が責任もちます
から 一応 トラは 引き取っていただいて 東京にお願いいたします」

そこで 彼の居る前で トラの部品屋さんサイドバルブに電話  ボンネ1969年の シリンダー&ピストン・リング 一式新品の見積もりを 聞いた
「全部で68000円です!」    え? 耳をうたぐった セットでですか?

 おい! これを俺が買うから こいつをS・モータースで組めよ。 
 そしたら番頭の責任費も 無しにするよ!
          
「いえ 社長は もう怖気付いてますから駄目でしょう 東京でお願いします」

と言う訳を 浅場さんに電話して了解をもらい。シリンダーSET は浅場さん 送りとしてもらう。
私は 不動となった トラを 軽トラックに積んで 東京まで浅場さんをたずねるはめに!

軽トラで6時間 かけて東京の大田区へ~ 「朝から待ってたよと」 甘い物とお茶で向かえて
くれた 10年前の  浅場夫妻
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今夜は泊まってゆくつもりで 少し自分で バラシテ見なよ!
と言われ タンク外しから始める・突き上げでタンクの底が凹んでないか?心配だったがOK

浅場さん「いやーしどいね~ボーリング屋から依頼主に これはもう削れないですよと,連絡
してる筈だがなあ~」  「技術屋は絶対依頼主に報告している筈だよ!」

Triumph のカットエンジンの画です  シリンダーバレルの軽量化の為か スタットボルト
は 腰と頭に 分割されている。。 クランクケースから ボルト穴をヘッドまで 貫通させると
その分鋳鉄シリンダーの 重量は重くなる  それで上下に スタットボルトを分割
したのかもしれない。
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これは 同時期生産 の Triumphトライデントと BSA ロケット3だ 同じ様に
スタットボルトは 上下 分割式です。
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 スタットボルトは 貫通だと 外からは見えないが。 ヒンクレーTRIUMPHになっても
 ツインは 上下分割方式ですね,
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当時の英車 Norton ・ BSA も 2気筒は スタットボルトは 上下 分割式でした。
当然 W-1 や SR-400なんかも 上下 分割ですが W650はちがいますね

やっとの思いで, 自分でシリンダーヘットまで外した・・・・・・・・

あれ~?  カーボン一杯だあ~  如何して?

腰上完全整備と頼んだのに~  それに柴田 ・モータースでは4回はヘッド開けているはず
なのにカーボンの堆積って・・・?   しかたなく浅場さんが バルブを外してくれた。

と 排気側のバルブガイド・スリーブが コトン ! と落ちた! え~~?

こりゃ~駄目だ バルブガイドも 焼嵌め しないと・・・・・
この画像は無い  多分 8mm ビデオで 撮ったはずだが・・・・見つかってない。

とにかく シリンダーピストン・リングSET と 「シリンダーヘッドは」 交換しないと走らない
浅場さんに 一任して 翌朝空の軽トラックで 家路に着いた。

だが 収まらないのは腹の虫  契約で腰上は完全整備の約束で 整備費30マン支払った
のに  納車前に腰上 整備した形跡なし。 当然やるべき バルブ摺り合わせ どころか
燃焼室には カーボン  付着のまま!!

ボーリングに出した。 所の技術屋から柴田 ・モータースに 「限界・・の連絡」 あったはず!
その連絡に 柴田は何と答えたかのか?  私は 名古屋の有名ボーリング工場をたずねた。

雪の積もった 寒い日だった, 立派な建物の 老舗ボーリング工場に行った。
感じのいい 女性社員が応対してくれて。  お茶もいただいて。

やがて責任者らしい社員の方が 別のお部屋で私の話を 聞いて下さった。

「お宅の技術に文句を付けに来たのではありませんよ  ただ担当の技術屋さんが 依頼主
に あれだけ 磨耗したシリンダの工作を前に 報告を入れられたはず, それに対して
依頼主が どう返事をしてきたかだけを お聞きしたいだけです。」

「よくお話わかりましたが。 誰が担当したか今わかりません 追って御連絡しますので暫く御猶予ください」  じつに筋の通った応対だった  日を改めて又おじゃましますと言って帰った。

ボーリング屋さんからの 連絡より   浅場さんからの出来たよ~電話が早かった。

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↑  ↓  写真はその時撮影したものでは有りません 馴らしも済んだ頃のものです
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ユニットのシリンダーヘットは 整備スミのが有って 交換してくれていた。
シリンダー・ピストンは 新品が組んであった。
但し浅場さん 曰く 「新品と言っても今の時代のリメイク品だよ 本来ならそのまま組まず
オーバーサイズピストンを 用意してボーリングをして 組むのが1番なのだよ」

はあ~そうなの 理由は 聞いたが悲しいので書きません・・・・予算 ↑

「そのかわり 500km走行ごとに Oil交換 3回 繰り返しなさいよ」
とうぜん 始めの 500km までは 2500rpm まで 気を使って馴らしをする事」 ハイ!
あれ? エキパイが変わってる 連結パイプがないタイプになっている・・・・・・・・・

「あと この69ボンネ 68年から69年に移行時の エンジンらしいよクランクは68年だよ!」
へえ~そうか  「それは良い事だね 浅場さんのお気に入りでしょ?」 「そうよく知ってるね」

おいおい俺達おたがいサイクリスト別冊1979年 「わだち」の仲間, 読んでますって!

やっと普通になった 69ボンネを ダイハツハイゼット に乗せて 東名を春日井へ

翌日 番頭のWくんやってきた 幾ら掛りました?  「 予算通り20万にしてもらったよ 」
そうですかじゃあ 20万持って来ました,これ!  「オイWくんこれ店からのお金だろうね?」

「いいえ違います私の自腹ですよ。」   「そうか~くそお! じゃあ10万でいいよ」
Wくんだけが 責任とるのは変だよ・・・それより 「聞いたかシリンダーヘッドのカーボンの件
「当然やった! と叱られました 」    へ~~くっそおお!


『  字数が多すぎです別項目にと  Excite からクレーム入りました その 2へ 』
   

 

by sizuo71 | 2008-06-02 23:17 | トライアンプと 48年 | Comments(25)

Commented by 班長 at 2008-06-03 12:21 x
いいな静さんのトラ話。
まだまだ続くんですよね。
Commented by ノエル博士 at 2008-06-03 13:33 x
初めまして。
トライアンフは懐かしいバイクです。
20歳の時に憧れて57年式だったでしょうか。
中古で買ったナセルヘッドのボンネに乗っていました。

然し。
ブログを拝見させて頂くと小生なんざ青二才ですね♪♪
Commented by sizuo71 at 2008-06-03 14:05
始めまして ナセルヘットのボンネは 多分 1959年で
T110 をツインキャブレターにした フアーストボンネ だったでしょうね~  私は乗るだけで メカ音痴ですが・・・
Commented by 60おじさん! at 2008-06-03 20:50 x
トライアンフ ボンネビルそれは私にとっても永遠のマシンです、一度は持ってみたいです。

そう言う訳でリサーチはしています!ナセルヘッドの初代ボンネ「T-120、47ps/6.700rpm」は58年と私のデーターに記されていました?間違いないでしょうか?

私んちには、トラより先にビクターが来てしまったのです!そのかわりMXに走れていますが!
Commented by 静じい at 2008-06-03 21:14 x
さすが60おじさん ピンポーンと言いたい所ですが 58年T110のシリンダーヘットをアルミに キャブをツインに完成は 59年でした
46ps/6500 と記載されてます。 ゆえに1959年浅間では BSAの後塵を拝してます。 1958年の B・ハント やJK・ホンダが
勝った・ Triumphたちは 米空軍部品調達による 58年TR-6
を ツインキャブに武装した 米軍スペッシャルマシンでした。
Commented by tora at 2008-06-03 21:33 x
いいなぁ~
静じいの話は、いつも アツ~イね!
もっと、もっと聞かせてください。
いまでも、K子先生と
よく、静じいの話をします。
Commented by アゴスリーニ at 2008-06-04 21:21 x
わあ!この66年ボンネカッコイイな・・ってね。しかし一台のバイクにもそれぞれ歴史があり縁というのがありますねえ。 このバイクは幸せですよ。
Commented by sizuo71 at 2008-06-04 22:49
私も HD のマフラー おとしたよ~~高速でなかった 拾ったが
哀れ 傷だらけ  トラのマフラー トガーは有りましたか?
Commented by 60おじさん! at 2008-06-05 00:57 x
静じいさん有難う御座います。さすがです浅間のその時私は中学生でサイクリスト誌をむさぼり読んでいました!
永遠のボンネビルの写真まだまだ見せてくださいよ。
Commented by 班長 at 2008-06-05 12:52 x
写真のボンネ900は、僕が試乗第一号とか聞いています。
Commented by cafe_candle at 2008-06-05 23:58
はじめまして。きゃんどるです。
今日は、お店に来ていただいてありがとうございました☆
お写真拝見しました。カッコイイですね!(うちの父とは大違い)
娘さんは、私と同級生だと思いますょ♪
ぜひ、また遊びにきて下さい。
Commented by 班長 at 2008-06-07 08:09 x
w650みたいな物がヤマハブランドで。
TXの復活願う!
Commented by 静じい at 2008-06-07 18:49 x
2番煎じは だめでしょう SRx のまねした GB500も 過去の
はなし。 SR400 のホンダ版 も売れてないでしょ  W650は
確かに若者にも受け入れられていますね~~
ヤマハは今更 バチカルツインに足踏み込まないと思いますよ。 
Commented by 班長 at 2008-06-08 09:54 x
じゃ~SRしか無いじゃん~。
で新車今は400しかないぞ、中古の500は良いものがPOAなっています。
Commented by 静じい at 2008-06-08 11:11 x
SR400でええじゃないか! 500に乗ってたが 味と言う点では
400が勝ち  Triumph の650 より 500ccが味があり
ハーレーの1200 より 883 が 味は上 ようするに フライホイル が ピストン を先導している形=味だとおもいますよ。
Commented at 2008-06-09 22:15 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2008-06-09 22:16 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 水曜会の茸(あっちゃん) at 2008-06-09 23:05 x


その後いかがお過ごしですか??
文面を拝見する限りお元気そうですが。

今回の記事・・・・いつもに増して、
力作ですね!!!!

フジガスとガッチ&日本人選手の応援、
日曜日だけでしたが、
もてぎでいっぱい声出してやってきました。
やっぱ、世界選手権は楽しいですね!!!
久々の観戦で、
興奮気味です。


気が向いたら、
ヤマグチにも遊びに来てください。

Commented by 静じい at 2008-06-10 00:06 x
あっちゃん その節はどうも もう庄内川 の河原で ちょいちょい
のってます。 アラスカから 帰ったら やまぐちにも 出没
その前に  平谷でランチ お渡ししますでなも
Commented by sizuo71 at 2008-06-10 00:12
まんじゅんさん おはつ・・・でしょ どうぞ御自由に LINKなと
なのでも OKですよ~~~
Commented by まんじゅん at 2008-06-10 08:51 x
静さんありがと~
力作に記事の数々、じっくり読ませていただきますねv
Commented by 練習菌 at 2008-06-12 13:05 x
あ〜、ひどい状態ですねえ。
カーボンとってない。バルブガイドはすかすか。技術屋としては許せんなあ。
スタットボルトを分割すると、エンジンを載せたままで腰上を全部ばらせる利点があります。
本田のように上までスタッドボルトが伸びていると、ヘッドをはずすだけでも、フレームからエンジンを下ろさなきゃいけない。
Commented by 静じい at 2008-06-12 17:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。 様
ブログの持ち主と言うのは わたくし の事でしょうか? コメントいただいて 拝読したいのですが  勉強不足で コメントを見れ無いのですよ 出来れば 操作のしかた教えていただくと有り難いのですが。 スミマセン
Commented by 水曜会の茸 at 2008-06-12 22:54 x


ますます、熱くなってきました。

今回はまったく力作ブログですね。

最近この後の続きが楽しみで、
ドキドキしてます。

静さんは私の両親と同い歳なんですよ、実は(父他界)。
だから、その時代の方のそういうバイクとの接し方が、
妙にググッときちゃいます。

いや~、実に良い!!!




Commented by 班長 at 2008-06-13 12:40 x
kボ-リングは上前津辺りのお店?

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