トランスメディア提供アイコン01 2017から思い出の鷲ヶ岳・ダイナランド・奥長良TRIAL

2017年8月 今年も 150人以上の選手を集めて 5~6日を楽しんだ。

私が参戦したのは・ダイナランドからだが、 思い出を写真で 辿って見よう

今年も小酒井さんのBETA200を借りて 土曜日にテッペンに登った4~5年前は
ここまで セクションを作っていたが・・・・リフト が 隣のスキー場の頂上と同じ場所
になって、 競技会の時は 此処に セクションを作らなくなった。

しかし やはり鷲ヶ岳の 頂上は ココダ!

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2016は Gatti の RTL300ccを借りて 上った。
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2013年 TRCNのメンバーで。
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何年前だろう GasgasPro200 のクラッチが過熱して 大休止した事もあった。
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前夜祭のBBQ や 音楽は恒例だが ココ2年 Jazzライブ と お洒落に・・
   2017  ギター トリオ Jazz
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私まで 歌伴で 飛び入り。
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   2016は テナーサックス(TRCN OB)のリダー山田くん
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    ダイナランドの時代  Gonちゃんと  2005年
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今年流行りの黒い雲は見えるが 綺麗な夕焼けの会場
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   近ちゃん  菌さん  ジッタさん  と積もるお話し
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   裏のドン三谷多気おやじ と 東京からの客。
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夜が更けるまで吞んで 食べて。
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そして前夜祭は続く・・わたしと 小佐井さんは 民宿五郎平まで降りて泊まった
                    五郎平の看板むすめ~~
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                    朝~~~~~
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9時  さあ始まるよ  
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      全員集合!!!
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  昨年 5年生 完走 クリンも取った 中川家のまな娘。
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今年は6年生  中学2年までガンバル約束で Beta125をパパに約束
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和気あいあいの 総合採点
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仲の良いふたり !
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電動TRIALマシン
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    Pre75 クラス  どころか? 1950年代 英車たち。
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    リアのフレーム改造でリジットにした AJS500 凄い
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  Triumph 350 ツインも このクラスでは 上位が狙えます。
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この 丸い岩が 曲者? 皆でラインの相談。
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    今年一番暑い 奥美濃のTRIAL は無事終了

   83才 静じいは 体力の有る内に レンタカー飛ばして16時には帰宅してました
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。。。。。。。。。。。。。。






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# by sizuo71 | 2017-08-17 20:15 | TRIALの 話 | Comments(3)

トランスメディア提供アイコン01 1957年はクラブマンMotoSportの夜明けの年だったが

私にしても オートバイを中古で、分割払いで購入出来たのは
1957年だった,多分23才だったと思う・・・1955年型 4スト200cc 4万5千円
高校時代は自転車すら買えない貧乏ぐらし。戦災から住む家も無く間借り生活がS28年
王子製紙kkに入社するまで10年間続いた。  軽二輪の免許は20で取っていたが
先輩のトーハツやベンリーを 借りて乗るためだった,

1957年早春「モータサイクリスト」を買って読んだのがオートバイキチガイへの第一歩だった。 
浅間に小型自動車テストコースが出来て メカーが耐久レースを始めた年だ。

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このオートバイ何処となく メグロに似てるでしょ。これは名古屋市北区の山内輪業と言う工場で組み立て「シルバースター号」として売っていた。 エンジンもミッションもメイドイン名古屋, 1955
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『ホダカミッション』3速 エンジンは榎村製作所(東区萱場町)[山内輪業・富士工業」
2012年6月 高齢者運転教習の教室でお隣の席の方85才が 穂高「ホダカ」の社員の方でした。積もる昔話に花が咲きました。ホダカは ズーットアメリカ向けに 軽量Off ロードバイクを 作り続けていた名古屋のバイクメーカーの 一番長寿でした 1970年代まで輸出してたとの事
 
榎村エンジンはこの時代4ストが優秀で,名古屋のメーカーはこのエンジンをを多用してた
私のシルバースターは1955年型。  HONDA コレダ ヤマハ ライラック ポインター
同年代のメーカーはどんどん新型を出し 性能競争で先行していた

遡れば1953年には「名古屋TT」メーカ対抗ロードレース(道路レース)も行われてから4年を過ぎていた。

私のシルバー☆はあまり遠出は出来なかった。そんな頃山内輪業にモナーク号
250ccの56年型の中古があった。試乗して驚いた50cc大きいとこんなに速いのか
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モナークーは英国のベロセットを研究して。OHVだがカムを高い位置にして
プッシュロットを短くバルブ作動をより正確に働かせる最新技術・・・欲しかった~
でも買えなかった。 写真は後年・・九州の岩下 コレクションで撮ったもの
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シルバースターは1年故障に悩まされながら乗った ドライサンプのOilポンプと
リアプランジャーショックのシャフトの磨耗の故障が多かった。
 
買った店で2台目となる  IMC250ccを購入 IMCは6万5千円これも
分割払い(当時は月賦と言いました) IMC 1956年  伊藤機関工業製。
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又2年落ちだが,IMCは安心して大阪ぐらいまで日帰り遠乗りできた。

このIMCに乗っていた頃 新型のIMCは2サイクル2気筒でガスデン製のエンジン
フロントはアールズフオークだった。 1958年頃は16インチホイル全盛時代。

私のIMCは三菱重工製のOHV 作りはトライアンプ T110を真似ていた。
お気に入りで良く走り廻ったOsakaコマンドMccとの付き合い始めもIMCからだった。
同じ年勤務先の王子労組が144日間のストライキに入ったのに。
ヤマハYCに乗り換へていた。 後に写って居るのは 労働争議中のピケ小屋
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ヤマハYC175は ドイツのDKWのコピーだったが,スポーツタイプでは無かった,すぐに
嫌に成った,144日の長期スト中で金もないのにクインロケット200ccの新車に乗り換えた。

この年だけで3台目しかも,今度は特注の新車。しかもエンジンは浅間クラブマンレースを走ったばかりのレーサーエンジン・・・・・『ロケット商事名古屋からの話』!

『59年型の車体にそのエンジンを整備して載せかえるから買わないか』
独車ツンダップ200のフルコピーだ 欲しい欲しい・・しかも,カラーリングから
マフラーの形状までこちらの注文通りにすると!誘惑してくる・・・買ってしまった。
後先 考える事も無く買ってしまったのが こいつ ↓

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クインロケットは250cc4ストOHVの浜松のメーカーだがエンジンは名古屋の榎村だった
工場は東区だから社宅から10分で行けた 200cc2ストは優秀だったが・・・・・
レーサーエンジンの 燃料の混合比は 10:1が常識の時代 UPマフラーから飛び散る排ガスは
背中からヘルメットまで 油の シミだらけ!
参った・・・工場に改良に足しげく通って。 混合比は20:1でOKをもらった

1958年当時の2ストはピストン焼きつきが最大のトラブルでした。実用車は20:1
だがレーサーは 10:1でも不安だったのでしょう, ロケット(榎村エンジン)は
プライマリーチエンケースのOILを 2サイクル用OILを採用していて,クランクシャフトに0.5mmぐらいの穴をコンロットベアリングまで通し吸気でクランク室を潤滑していた。

まあ今 考えると? 随分と背に腹変えられず式の潤滑をやったものだ。
燃料の出力低下を考えなかったのだろうか?
レースに出る気はなく,このよけいなOIL穴を詰めてもらった。
しかしUPマフラーからのOIL飛散はあまり減少しなかった。
200ccとしては最高速が120km/hで当時としては高性能だったし

1959年式YAMAHA YD-Ⅱに乗り換えるまで1度の故障も無かった・・ただ・・近くの川に3mもダイブしたり,タクシーと接触したり無茶な運転で色々有った。  「ロケット商事」名古屋鶴舞にあった。

初めての2気筒エンジン YAMAHA YD-Ⅱ 250cc
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1957年にYD-1は出ていた。 友人のそれに試乗した時の感想は・・・・
ショックだった!加速が良いとはこの事か・・・単気筒の200ccから乗り換えるとその差は凄い!

『今で言うなら古いBMWからDucati 900ccに乗換えた時のショック』と同じだ。

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1958年秋YD-Ⅱを購入して直ぐに九州ツーリングを計画した。 
サイクリスト誌の名古屋出張所の大橋さんが
広島まで12時間で走れます?500km 「行けるさ!」 で熱田を0時に送り出され
神戸の花時計を4時通過した 舗装は1号線でさえ50~60%の時代。
悪路のブンを舗装で取り返す・・・ついに御用となり 広島着PM12時20分だった。

九州から帰るとヤナセに勤務するH君が自分の持っているHONDA CS76305cc
と YD-Ⅱと交換してくれないかと言う,同じ年式だが,向こうは305cc格が違う?

実はその時代ヤナセは外車の他に, ヤマハのメインデーラーだったのだ。
だからヤナセに勤務して ホンダに乗るのは,不味かったのだろう,そこで交換は成立した。

1958年HONDA CS76 305cc これは1959暮れCB77が出るまで約1年間製造されただけ。
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OHCドライサンプ,セル付き 点火はポイント式で デストリビュウターが付いていた
CS76はすぐに近くの鍛冶屋の協力で2in1のエキパイでダウンマフラーに改造
マフラーはキャブトンの物を使用した キャブトンは未だ現存していた時代である。
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セルモーターを取り外すのが男と言っていた。 もちろんバックミラーは右一本
今 バックミラー一本だったら 自動車に踏み潰されてますね。 くるまの数が1/100でした。

それにしても57年から59年秋までに何台乗換えたのだろう3年で7台で新車が
ロケット YD-Ⅱ スーパーカブC100 どれも10cc=1万円時代 今考えると良くやれたもんだ。
 
CS76は良く走ったが高回転で,2度もピストンに穴が明いた1度目は和歌山でやったので 
OILを継ぎ足し継ぎ足し片肺で名古屋まで走ったことがある。


スーパーカブ C100 なんだけど・・・・まともな形で写真が無いのです
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こんなのとか・・・たぶん58年に買って お買い物に使った憶えは無いです
TRIALの真似ごと ダートトラック(浜松) モトクロス(朝霧全日本)とか
 そんな使い方ばかりでしたキャブレターの前の泥よけアルミ板みえますか
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1958年の浅間は50ccのレースは無かった。1回目のクラブマンレースは125ccクラスはYA-Ⅰ 250ccはホンダC71,2位3位はアドラー(独) 350ccはBSAだったが 1959年は 50ccクラスが出来てスーパーカブが上位を独占した。5位6位は山口オートペット 7位にNSU(独)だった。

探して見たら出てきましたOji mccと書いてあるから1958年かな?私24才
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1960年 CS76を下取りにして CB77を買った。 写真は大きくして見てね。
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東京まで人のサイドカーを運びに往復したことも。
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しかしすぐに こんな使い方に  岐阜長良川モトクロス副総理杯ですよ。
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こんな使い方が多かった でも同じ305ccOHCでも今度はピストンクラックなどの
故障も無く1~2年乗っていました。 所が同時進行の形で 360ccの軽自動車が
2輪仲間で流行り出しました。スバル,マツダクーペ,キャロル,『軽360ccは自動2輪免許で乗れた』

1962年ついにキャロルを買うときに CB77は 手放す事になってしまった。
そのキャロル360が何とも鈍足 で仲間のコンテッサと交換した半年ぐらいは
2輪はスポーツCubだった。  又CS76を乗っていたような? 気もする

1962年 MFJが出来た 鈴鹿サーキットが開場した!

第一回アマチュア耐久レースがある
出よう 出ようと悪友『ヤマハの岡部』にそそのかされて その気になって・・・

買ったのはYDS-Ⅱ それにしてもバックミラー&ウインカー無し?(名四国道)にて
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これで鈴鹿を走った。ライセンスは講習会だけでMFJノービスをくれた。

サーキットを走るなんて最初の最後だったその頃もう有名になっていた「生沢 徹」
「大月信和」 達と同じサーキットを走れた事が 不思議だ,
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彼等はどんなライセンスだったのだろうか?
とにかくCBは早かった。 それ以来2度とロードレースはこりごり

YDS-Ⅱは 耐久が終わるとすぐに  CL72に化けていた。 ↓
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1963年 サーキットの北側にモトクロス場が併設され 毎週土日鈴鹿モトクロスが
開催されていた。我が家から2時間ぐらいで行けた。 毎週自走で鈴鹿に通ったが
毎回,予選落ちで午前中で帰ってくる  最後のレース昇りでイナバウワーやって・・・・
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以後 CL-72は手放し 車もなしバイクもなしの日々が2ヶ月ぐらいあった・・・・

それも不便なので 何を思ったかヤマハのYG-75?を買った 1966?
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しかし・・・たった2週間で名古屋市北区のヤマハ名古屋支店の隣の
自動車屋にYG-70を持ち込んで 2年落ちのクーラー付きコロナの下取りに・・・
そこでメンテをやってくれていた大森少年を 2輪の世界に誘惑した。1967年
東京オリンピックの3年後の話。 その後彼は 管理職S氏とともに退職して
岡崎でヤマハオートセンタを旗揚げし今は世界のRバロンの中枢である。

多分?1966年 ホンダCS90を買った こいつとは5年間の付き合いになる。
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1972年頃 YA-125を買うまで良く乗り回した大きいMotoには目も呉れず
と言いたいが実は Jazz に熱中だった 
この写真 4月はじめスキーにCS90で志賀高原熊の湯に行った時のもの
まだ。1.5mの残雪だった・・・・スキーに行ったのだから当たり前だよね。
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1957~~1967年のお話は終りです。 バージンBMから御来場の皆様 ↓

次は  「カテゴリー1970~2007年」へ 今年までの60年間のオトキチ道楽話しは,
まだ 続きます・・・・・是非 ↑へ来て下さい。 
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# by sizuo71 | 2017-08-09 11:46 | 1957~1967愛車 | Comments(6)