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トランスメディア提供アイコン01 <   2011年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧

トランスメディア提供アイコン01 魅せられて!今年4回目の しらびそ高原

今回は 平日しか乗れない友人のワルツさん誘って,高速道路は使わず 走って行こう。

と言うわけで 9月27日8時 定光寺「徳川家菩提寺」出発 初めから土砂崩れ迂回で多治見市まで 山道を走る 土岐・恵那・中津川・南木曽 はR19を走る「道の駅しずも」で
10時 初めての休憩。 正面山頂に見えるガードレール  あれは林道だ
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あの道,昔 大晦日にTRIAL車で 雪の中走った事がある。

南木曽から 妻籠・清内路・阿智・・・・紅葉にはまだ早い 訳あって飯田市ICから駒ヶ根
まで高速を使う事にした。 平日11時の駒ヶ岳SAは静かだ
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訳とは 前回分杭峠に行ったとき 駒ヶ根ICで下りた・・・だからその思い出をトレースする為です。 給油7.7L 165km  コンビにでおにぎり買って 分杭への道を聞きそれでも。不安をかかえながら 分杭峠に12時20分到着。
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 3回目のStopは 分杭峠で お弁当 おにぎり2ッ!「平日だから出来る」
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13時 分杭峠から 大鹿村に下る,ここも 行き交う車も無く 30分で地蔵峠通過
14時 しらびそハイランドホテルに 到着
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ここから 平谷村まで2時間と見れば のんびりできず直ぐ出発。下栗の里の手前から伊那谷を望む。
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下栗の里に誘導するため 以前下りた道は止めてあった。

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予想通り 下栗ー上村ー天竜ー売木ー平谷・・・16時通過
稲武ーどんぐりの里(トイレ) 力石からグリンロード経由 18時帰宅でした。
TRIUMPH900 394キロ/ 19L  燃費20.7km/L でした
ホンダ シャドー750は         24~25km/L走ってました。
厳しい山道ばかりでしたからこんなもんでしょ~~う
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by sizuo71 | 2011-09-29 12:31 | 2011年 の旅 | Comments(5)

トランスメディア提供アイコン01 第29回 全日本四十雀トライアル大会in 鷲ヶ岳 2011.9

今年も優勝された 私達の目標 堀内考太郎さん(84)
この写真は 前々回 2009 毎日新聞社提供の写真に 私が堀内翁にサインを頂いた物です
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上の写真を額に入れ 拝むか? 打倒を祈願するか? チャンプ木村さんに聞かれた(笑)!
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今年も 中山ファミリーの 提供の額入り 記念写真を頂いた  敬老の日9月19日
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四十雀は主催者も選手になります。 下段のTY-Sは 主催者の自慢の愛用マシン。
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昨年7月三途の川で 渡して貰えず戻って来た TRIAL講釈師 井茶紋太郎「えびねさん」今年は 講釈Only ヘヤースタイルはキュウピーちゃん。
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HONDA の3連チャンピオン 近藤博志氏 コンチャンの 特製フレームALLアルミだって!
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 三谷ひげ親父スペッシャルRTL250
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 カワサキKT・イタルジエット・TY-s
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「コンチャン」近チャンとの出会いは袋井のヤマハの 社員食堂だった・・1972年神戸木ノ実RTで 「やんちゃ」でしたよ。
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自然山のニシマキどん Triumph Taiger Cub 200
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今回はセクション下見をしてから・・・トライしました。その毎度携帯酸素・栄養ドリンク・
「ドーピングにかかるかしら?」  Photo by 自然山ニシマキ丼
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ゼッケン34 宮本さん61才 ずいぶん古くから知ってる・・若いライデングだった
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            説明不要のお二人!
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鷲ヶ岳高原ならではの涼風の中 昼のお弁当
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白樺~青空~~♪
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今年も 無事終了しました。 最高の眺めです14時20分降ってGooLデス !
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さて 恒例の四十雀実力No1コンペが 始まりました・・このあと晴天の霹靂の終幕が・・・
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永遠の王者 木村治男も 人間だった・・・・
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岡田 満陽さん 絶対王者木村のミスで No1 となる!
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60代後半から果敢に 実力No1 コンペに挑み続けた 岡田さん(70)ついに頂点に本人曰く「青天の霹靂」 いや実に頭が下がります。
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良く見たら 岡田さん4位で 私5位でした 昨年4位だったから一生懸命真面目にやったのに成積は下がってる
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中日新聞に載った 堀内さん  9月21日
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こりゃあ~~又来年も  勝てませんね~~~(^0^)/
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by sizuo71 | 2011-09-19 08:16 | TRIALの 話 | Comments(6)

トランスメディア提供アイコン01 1昨年から 課題の 嬬恋 毛無峠 

昨年もMOTEGIの帰り 行きかけて途中引き返した。
誰か相棒がいると。 気ままが通らない  暗い朝3時半Start

9月10日まで 3日眩暈止めの注射に通い「寝不足すると起きる持病」Triumphで
飛び出し。中津川から茅野まで高速 和田峠ー上田ー草津・・・寒かった
白根ーで久し振りにお釜見に 登ったが 火山活動?のため 登山道が 変わっており息が切れた。携帯酸素はバイクに積んだまま。
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偶然だが 40年前の同じ場所です 白根はなんの変化なし 人は歳を重ねてゆく。
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5年ぐらい前 登った時より お釜の湯が増えてた? 様な気がします。
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万座温泉 プリンスHOTERL 裏道から 夏草の生い茂った細道をチンタラ毛無に向う 方向感覚を失いそうな 場所に熊の湯の笠岳が見える
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このバケットコンベアー らしい支柱は 相当古い
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トラでなく Cubなら降りて行って見たかった ダート・・・・
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この下の群馬県がわには 大正時代に設立した硫黄工場が有ったそうだ 硫黄は火・ゴムその他 化学工業の 原料だったもんね~
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ラジコンのグライダーを飛ばしたり 山に登ってる人も居た
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この毛無峠の由来を PCで調べて見るとその 歴史が出てきた。
小串硫黄鉱山の経緯

大正5(1916)大日本硫黄㈱高井鉱山として採掘開始
大正6(1917)東洋硫黄㈱に経営委譲
昭和4(1929)北海道硫黄㈱が買い受け
昭和9(1934)尋常小学校小串分教場開校      「私の生まれた年だ。」
昭和12(1937)大地滑り発生。死者245名
昭和13(1938)操業再開
昭和15(1940)小串文教場に高等科設置      「第二次世界大戦前年だ。」

昭和20年代の朝鮮戦争時には、硫黄価格がつり上がり「黄色いダイヤ」と呼ばれ、鉱工業の花形に成長

昭和21(1946)小串鉱業所労組設立        「戦後の赤旗が労働者の地位を確立したころだ。
昭和28(1953)毛無隧道貫通。須坂万座間の定期バス運行開始   「今わどうなってるのだろ~?この年は湯田中から夏場熊の湯までしか道がなかった 長野県~群馬(草津)への
山越えの自動車道路は1960年以降だった。」

昭和32(1957)鉱山の最盛期。従業員625名、   「噂では2000人映画館も有ったと聞いた?」
昭和33(1958)希望退職募集。61名の人員整理。  「1958年下界の浅間ではクラブマン・オートバイレースが始まって居た年だ。」

昭和38(1963)小串小・中学校生徒数最高の296名、教師15名
昭和40(1965)村立小串幼稚園新築開始       「トーキョーオリンピックの翌年」
昭和43(1968)小串地区からの集団移住地「緑丘」宅地造成開始
昭和44(1969)小串小・中学校体育館完成
昭和46(1971)閉山               「大阪万博の翌年ですね。」
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     万座の湯元。
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     珍しい 光苔。
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 酷暑の春日井に明るい内に帰ってきました・・・・無駄な 急ぎ足でした。
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   庄内川の堤防です 後に見える煙突は 王子製紙
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往復・・・・690km





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by sizuo71 | 2011-09-12 19:12 | 2011年 の旅 | Comments(10)