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トランスメディア提供アイコン01 <   2006年 03月 ( 2 )   > この月の画像一覧

トランスメディア提供アイコン01 出発の日をミスしたデイトナ,バイク,ウイーク見物 06,3,2

デイトナ バイクウイークは2週間だとは知らなかった。 誘われるがままデトロイトへ
東京のハーレー乗りと一緒に乗り込んだデトロイトは雪が舞っていた。
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デトロイトで乗り換えて オーランドまで2時間30分飛ぶと
午後の日差しがきつくホテルの部屋はクーラーがかかっていた。

翌日USA金曜日3日 Bike を借りる 乗りなれたXL1200を頼んだのに・・・
並んでるのは XC1200 デヘ~こんなの乗れないよ~
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文句を言ってもXL1200Rは有りません・・・参ったな~
これでハイウエーをふんぞり返って走ると朝は寒い シールド付がうらめしい
ところが昼になると やはりフロリダの太陽は 超どピーカン 真夏に変身するのだ。
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こんな調子だから初日で 降参しました  3月3日お雛様の日。
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 お化け達・・・・・・?
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モンローこれはお仲間さんが送ってくれた写真です。
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そんなわけで 翌日はデートナビーチ行きは 私達はやめました!
そこで予定の無い ケネデイ 宇宙 センターを見学に行くことになりました が!
誰も行った事がありません。 地図を頼りに不安なStrat デス。
1時間もたたないうちに 1人はぐれました 2時間目また 1名居なくなりました!
ついに 3人に成ってしまいました。 ここは  ↓ 何処でしょう??
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とりあえず 我等はどうにか 宇宙センターに辿り着きました・・・・1名先着してましたが
帰りの時間が不安で 見学した場内の 写真はありません。
帰り道 分かりません・・・でもオーランド を目指して右往左往してオーランドに・・・
たどり着きましたが HOTELの場所がわかりません。 困りました
ついに パトカーのポリスにお世話になり誘導してもらいました・・・・・
いつだったか?? 同じような事を EUのザルツブルグでもやりましたなあ~~
3月4日 2006


3月5日 もう今日1日走れるだけ 海外ツーリング10年目最短走行最小日数デス
しかも目当てのデイトナ200は来週, その他のレースすら 予定なし。
しかたなく全員 ビーチに向かう しかし私と橋本さん清水さんはデートナスピードウエイにゆくことにした。レースは無くてもスタンドぐらいは見ておかねば何しにフロリダまでやってきたのか
JTBノパンフ良く読んで無かったのが悪いのだけど・・・・・
とりあえず準備中の場外青空が恨めしい  ↓ 写真でかいよ!!
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 とりあえず足跡を残す記念写真は 橋本さんと。
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  誰もいないDAYTONA スタンド でかさはMOTEGI の比じゃない。
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  これは 表彰ステージ ここに入るのに$26,50s・・・・
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  やけくそで   1位の位置に立ってやる!!!!
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 レンタルバイクも 壊さないで無事返却して もう明日は帰る~ウソみたい!!
 それにしても暑い 暑い フロリダ半島は冬は無いのか?

3月6日朝 5時ロビー集合です,オーランドからもう国際線あつかいです。
 だから2時間前。 NWA ゲートで朝焼けが始まり7時半フライトです。
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2時間半のフライトで デトロイトは雪が舞っていました飛び上がるとすぐカナダなんです
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カナダ  アラスカ  アリュウシャン の氷の山 氷河 北極の海が見えたのがただ1の幸いでした。
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 凍る海 真昼の北極 懸命にシャッターを切る。
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今日3月24日 本屋でクラブマン を立ち読み デイトナ”200マイルレース
の速報を見た 日本製4気筒は750cc迄,OHVエンジンは1350ccまでOK,AMA
らしいレギュレーションでやっていた。 でもHONDAが 1,2,YAMAHAが
3,4, OHVのBuell1200cc は惨敗だったとか。



6月   イタリア ・ ミラノ ・ ベルガモ  TRIAL世界選手権の旅

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応援に行ったのだから 結果を先に Fujigas 優勝。
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  1点差だったから 藤波君はまだ不安 応援団はニコニコ
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マツヨメにせがまれ 断りきれず 中国国際航空で上海経由
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名古屋から2時間で上海だがミラノ行きは翌日発だとうぜん一泊hotel RAMADA

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miran 行き機内 服務員は国家公務員 綺麗だがあいそなし。
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ミラノには明るい17時に着いた。レンタカーを借りて先ずベルガモへむかう
借りたのは FIAT PANDA 良く走った
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しかしベルガモについてはて?予約のホテル探しに4時間 参った・・・
そこのホテルのお姉さん達 英語が出来るのは 右のお姉さんだけだった。
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ベルガモ をあとに翌日はTRIAL会場に朝早くから移動した ダルフオー
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 めずらしく 笑顔の ライア・・・
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ダルフオー は昔行った バルドネキアと風景が良くにている。
お孫さんを連れた ドギーPapa マーチンさん
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小川ツヨシがお世話になっている Team ボジス(ベルガモ警察もスポンサー)
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次の日はヨーロッパ選手権 ツヨシも藤波君も出場しない。ではダルフオーでのんびり
マツヨメは一人で会場に向った。  ホテルの表の広場で朝市が建つ。

そうそう ダルフォーのホテルは 眺め最高湖畔の宿 と言う感じです。
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部屋からベランダ越しの 景色最高です。
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ダルフオーの 朝市スナップ
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 ア~! ソフィアー ローレン ! みたい?
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 OH イタリアだ ジャコモ アゴスチーニ, 健在なり
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朝市も暑かったので ホテルに帰って 少し昼寝目が覚めたら あら?
あっと言うまに 市の屋台は姿を 消して きれいな広場に戻ってた。
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さて翌日は世界選手権イタリア大会ですシャトルBUSで先回りしてセクションの
良い場所に陣取る。  イタリアンオフィシャル達です。
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北イタリアと言えども真昼のひざしはきつい!喉かわくお金はマツヨメにあずけたままユウーロ文無し参ったなあ~~
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海外の選手は若いのがドンドン出てきてるな~~
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 おお じいさんニシマキは来てないの?
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 こうしてツヨシはポイントGET! 藤波君は優勝で終わった。明日は
 ベルガモ観光 明後日は ミラノ観光で 帰る。
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 最後はDOMO 広場でお別れ帰りは又上海1泊乗換へでした。




2006年 最後の海外はマイルの貯まったKLMでスイス フランス ブラリ旅 です

       9月25日~10月3日

アムステルダム乗換え ジュネーブ,もうこのルートは3回目 空港からHOTELの前までバスが直行 コルナバンに泊まる ここは02年ポルトの帰り ツエルマット行きのベースにしたところ
      コルナバンHOTEL9階の朝食レストラン 清潔です。
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9月25日 ジュネーブ旧市街とレマン湖をのんびり あそぶ。
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旧市街のレストラン
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9月26日 BUSでシャモニーに行った エギュデミデイのロープウエーでは
過去に2度気圧の関係で苦い経験してるのでシャモニーからモンタベールにいきました
 メール・ドウ・グラス氷河 LE MONTTENVERS Mer De Glace
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Aiguilles de Chamonix から霧の中,朝日が顔を出します。
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グランジョラス 全景です モンタベール駅から 
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メール・ドウ・グラスの横に洞穴があってそこに 入れます
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その内部 この照明は人工で7色に変化する ちょっとヤリスギ!
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登山電車でモンタベールから20分で シヤモニーの町までもどれます。↓モンブランから流れくだる ボンゾングレーシャー まるでシヤモニーの町にかぶさるようだ。
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シャモニーはこれで3回目 でも1度も泊まったことが無い。
ジュネーブから2時間でこれるからだろうか?泊まって往復の方法を知らないから?
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27日モンタベールからバスでジュネーブに帰ると,ガイドに教えてもらったチーズホンヂュウーを
食べに行った。前にbanchan と食べた店とは較べられない 美味さだった。


28日 Zermatt に移動だコルナバン駅から電車で・・・02年にはBrigまで行った又ガイドにも書いてあるが。 何故か?女性の車掌さんがツエルマットなら Visp で乗換えなさいと教えてくれた。  でも始発駅はBrigなんで席はいい場所取るなら Brigだな!!

9時にジュネーブを出たから昼過ぎにはZermattに着いた。 が今回予約したHOTELはツエルマットの一番奥 目の前がクラインマッターホルン行きのロープウエイの駅だ参ったあ~
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↑が02年泊まったホテル ↓が今年泊まったホテル山に迫ったが・・・駅から遠い
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テラスからはこんな景色 下のパラソルはイタリアンレストラン
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ロケーションはすこぶる良好だが 町まで坂道を2km以上電気TAXI 2千円
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29日   朝焼けのマッターホルンは 予定通り


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赤 マッタ~ホルン 4478m
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朝食すんだら 朝一でロープウエイでTrockener Steg 2939mまでスキーを
担いだ連中と登る。 AM900
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トロッカーステージから モンテローザ リスカム の方角を望む
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角度が違うと マッターホルンは 三角推 この壁登れるのだろうか?
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下に遥かに Zermattの村が見える
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のんびり ひなたぼっこ の 姿
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さて午後からはSunnegga 2288m に地下ケーブルカーで登るさ降りるぞー
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午後になると マッターホルンの東側に 雲が出てくる
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 スネガー展望台から 夏だと更にロープウエー2度つないでロートホルン
 3103mまで行けるのだが今わ10月。 
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スネガ~には小さな池がある 蛙や小魚も居るのだが?隣は氷河 冬をどうやって越すのだろう ?
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ね!沢山魚が居るでしょ 400mトラックぐらいの小さい池なんですよ?
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この大きな氷河のある山は Weisshorn 4505m の山塊で モンテローザ や リスカムとツエルマットを挟んでいるように見える。
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この季節人も少なく 何日も逗留していたいもんだ。町におりて何時も立ち寄るケーキ屋カフエに コーヒーとケーキを食べに寄る。カフェテラスは ミツバチがケーキを狙って蝿のようにたかって来るので室内がおすすめ。
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ジュネーブのチーズホンデユウーに続いて この日はケーキ屋の伯母ちゃんに紹介してもらった HOTELのレストランで オイルホンデユーを食べた やはりコレもこの前02年の時より数段美味しかったあ~~  ↓4☆HOTEL ここのOILフォンデユーは逸品です。
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実に充実した一日だった。明日は ゴルナグラードへ登山電車で・・・・・

9月30日
登山電車に乗る前に旧市街を散歩 ネズミ返しを見て歩く きょうはガスってるからゴルナグラードの景観が気になる
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マッターホルンはガスって居るけど 一応ゴルナグラードに上がってみよう

お天気は上々だが.下で見たとおりマッターホルンは雲の中 セントバーナードがお出むかえ
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  Liskmm 4527m 向こう側は イタイア
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 ヨロッパで1番高い モンテローザ   ↑  ↓
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4634mモンテ 4527mリスカム 4164mBreithorn 最高のパノラマ
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  2006 9 30 ゴルナグラードで  通訳兼看護係。

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  ゴルナグラードに ケルンを積んできた。
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9月31日 もう今日はジュネーブに戻らなければ,  ツエルマット2度も訪れるとは

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ここから サンモリッまで氷河特急列車が走る1日ががりで 乗ってみたいな~
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 オードリーヘップバーンのフアン 
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ジュネーブの手前 ローザンヌの近くにヘップバーンのお墓があるから連れて行って呉れると言うので電車とバスを乗り継いで行った,可愛いらしい小さなお墓だったヘップバーンと
言うよりローマの休日のお姫様のお墓という 
ホントに可愛い墓地だった。近くのバス停には彼女の晩年の胸像もあった。

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3日 付き合ってくれた ガイドの Miss O ジュネーブ コルナバンで お別れ・・バイバイ
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    アムスで乗り継ぎ成田に着いたのは 10月3日の朝9時だった。
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by sizuo71 | 2006-03-07 22:00 | 06USA・イタリア | Comments(5)

トランスメディア提供アイコン01 1957年 は MotoSport の夜明けの年だった。

そして私にとっても オートバイを中古にしろ1台,10回分割払いで購入出来たのは
1957年だった,多分22才だったと思ふ・・・1955年型 4スト200cc 4万5千円
高校時代は自転車すら買えない貧乏ぐらし。住む家も無く間借り生活が戦中S18年から
王子製紙kkに入社するまで10年間続いた。  軽二輪の免許は取っていた。
先輩のトーハツやベンリーを 借りて乗るためだったが,趣味は写真だった。
高校時代は写真部 。
写真部と言っても学校の備品の コニカ が唯一の道具。だれも学生の身分で
写真機の持てる時代ではなかった。
 
1952年就職 1957年早春「モータサイクリスト」を買って読んだのがオートバイキチガイへの第一歩だった。 浅間に小型自動車テストコースが出来て メカーが耐久レースを始めた年だ。

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このオートバイ何処となく メグロに似てるでしょ。これは名古屋市北区の山内輪業と言う工場で組み立て「シルバースター号」として売っていた。 エンジンもミッションも めーどいん名古屋, 1955

『ホダカミッション』3速 エンジンは榎村製作所(東区萱場町)[山内輪業・富士工業」
2012年6月 高齢者運転教習の教室でお隣の席の方85才が 穂高「ホダカ」の社員の方でした。積もる昔話に花が咲きました。ホダカは ズーットアメリカ向けに 軽量Off ロードバイクを 作り続けていた名古屋のバイクメーカーの 一番長寿でした 1970年代まで輸出してたとの事
 
榎村エンジンはこの時代4ストが優秀で,名古屋のメーカーはこのエンジンをを多用してた
私のシルバースターは1955年型。  HONDA コレダ ヤマハ ライラック ポインター
同年代のメーカーはどんどん新型を出し 性能競争で先行していた

遡れば1953年には「名古屋TT」メーカ対抗ロードレース(道路レース)も行われてから4年を過ぎていた。

私のシルバー☆はあまり遠出は出来なかった。そんな頃山内輪業にモナーク号
250ccの56年型の中古があった。試乗して驚いた50cc大きいとこんなに速いのか・・・・
モナークーは英国のベロセットを研究して。OHVだがカムを高い位置にして
プッシュロットを短くバルブ作動をより正確に働かせる最新技術・・・欲しかった~
でも買えなかった。

(モナークの写真はカテゴリー「昔話の浅間記念館の所に有るので見てください」

シルバースターは1年故障に悩まされながら乗った ドライサンプのOilポンプと
リアプランジャークッションのシャフトの磨耗の故障が多かった。
 
ソレで, 買った店で IMC250ccの下取りに取って貰った。 IMCは6万5千円これも
また分割払い(当時は月賦と言いました) IMC 1956年  伊藤機関工業製。
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又2年落ちだが,IMCは安心して大阪ぐらいまで日帰り遠乗りできた。

このIMCに乗っていた頃 新型のIMCは2サイクル2気筒でガスデン製のエンジン
フロントはアールズフオークだった。 1958年頃は16インチホイル全盛時代。
私のは 三菱重工製のOHV 作りはトライアンプ&BSAを真似ていた?
お気に入りで良く走り周った OsakaコマンドMccとの付き合い始めも IMCからだった。

王子労組がストライキに入ったのに ヤマハYCに乗り換えた「いくらだったか?」??憶えていない中古車だったけど。
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Yamaha YC175は ドイツのDKWのコピーだったが YCはスポーツタイプでは無かった,すぐに
嫌に成った,136日の長期スト中で金もないのにクインロケット200ccの新車に乗り換えた。

この年だけで3台目しかも,今度は特注の新車。しかもエンジンは浅間クラブマンレースを走ったばかりのレーサーエンジン・・・・・ロケット商事名古屋からの話!
「59年型の車体にそのエンジンを整備して載せかえるからドンキーズMccで2台買わないか」独車ツンダップ200のフルコピーだ 欲しい欲しい・・・しかも,カラーリングから
マフラーの形状までこちらの注文通りにすると!誘惑してくる・・・買ってしまえ~~
後先考える事も無く買ってしまったのが こいつ ↓

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クインロケットは250cc4ストOHVの浜松のメーカーだがエンジンは名古屋の榎村だった
工場は東区だから社宅から10分で行けた 200cc2ストは優秀だったが・・・・・
レーサーエンジンの 燃料の混合比は 10:1が常識の時代 UPマフラーから飛び散る排ガスは
背中からヘルメットまで 油の シミだらけ!
参った・・・工場に改良に足しげく通って。 混合比は20:1でOKをもらった

1958年当時の2ストはピストン焼きつきが最大のトラブルでした。実用車は20:1
だがレーサーは 10:1でも不安だったのでしょう, ロケット(榎村エンジン)は
プライマリーチエンケースのOILを 2サイクル用OILにしていて,クランクシャフトに
0.5mmぐらいの穴をコンロットベアリングまで通し吸気でクランク室を潤滑していた。

まあ今して考えると? 随分と背に腹変えられず式の潤滑をやって燃料の出力低下を
考えなかったのだろうか? レースに出るのでないから,このよけいなOIL穴を詰めてもらった。 しかしUPマフラーからのOIL飛散はあまり減少しなかったが・・・
200ccとしては最高速が120km/hで当時としては高性能だったし
1959年式YAMAHA YD-Ⅱに乗り換えるまで1度の故障も無かった・・・・ただ・・近くの川に3mもダイブしたり,タクシーと接触したり無茶な運転で色々有った。    「ロケット商事」鶴舞にあった。

初めての2気筒エンジン YAMAHA YD-Ⅱ 250cc
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1957年にYD-1は出ていた。 友人のそれに試乗した時の感想は・・・・
ショックだった!加速が良いとはこの事か・・・単気筒の200ccから乗り換えるとその差は凄い!

今で言うなら古いBMWからDucati 900ccに乗換えた時のショックと同じだろう。

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1958年秋YD-Ⅱを購入して直ぐに九州ツーリングを計画した。 
サイクリスト誌の名古屋出張所の大橋さんが
広島まで12時間で走れます?500km 「行けるさ!」 で熱田を0時に送り出され
神戸の花時計を4時通過した 舗装は1号線でさえ50~60%の時代。
悪路のブンを舗装で取り返す・・・ついに御用となり 広島着PM12時20分だった。
九州から帰るとヤナセに勤務するH君が自分の持っているHONDA CS76305cc
と YD-Ⅱと交換してくれないかと言う,同じ年式だが向こうは305cc格が違う?

実はその時代ヤナセは外車の他に, ヤマハのメインデーラーだったのだ。
だからヤナセに勤務して ホンダに乗るのは,不味かったのだろう,そこで交換は成立した。

1958年HONDA CS76 305cc これは1959暮れCB77が出るまで約1年間製造されただけ。
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OHCドライサンプ,セル付き 点火はポイント式で デストリビュウターが付いていた
CS76はすぐに近くの鍛冶屋の協力で2in1のエキパイでダウンマフラーに改造
マフラーはキャブトンの物を使用した キャブトンは未だ現存していた時代である。
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セルモーターを取り外すのが 男と言っていた。もちろんバックミラーは右一本

それにしても57年から59年秋までに何台乗換えたのだろう3年で7台で新車が
ロケット YD-Ⅱ スーパーカブC100 どれも10cc=1万円時代 今考えると良くやれたもんだ。
 
CS76は良く走ったが2度もピストンに穴が明いた 1度目は和歌山でやったので OILを継ぎ足し継ぎ足し片肺で名古屋まで走ったことがある。


スーパーカブ C100 なんだけど・・・・まともな形で写真が無いのです
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こんなのとか・・・たぶん58年に買って お買い物に使った憶えは無いです
TRIALの真似ごと ダートトラック(浜松) モトクロス(朝霧全日本)とか
 そんな使い方ばかりでしたキャブレターの前の泥よけアルミ板みえますか
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1958年の浅間は50ccのレースは無かった。1回目のクラブマンレースは125ccクラスはYA-Ⅰ 250ccはホンダC71,2位3位はアドラー(独) 350ccはBSAだったが 1959年は 50ccクラスが出来てスーパーカブが上位を独占した。5位6位は山口オートペット 7位にNSU(独)だった。

探して見たら出てきましたOji mccと書いてあるから1958年かな?私24才
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1960年 CS76を下取りにして CB77を買った。 写真は大きくして見てね。
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東京まで人のサイドカーを運びに往復したことも。
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しかしすぐに こんな使い方に  岐阜長良川モトクロス副総理杯ですよ。
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こんな使い方が多かった でも同じ305ccOHCでも今度はピストンクラックなどの
故障も無く1~2年乗っていました。 所が同時進行の形で 360ccの軽自動車が
2輪仲間で流行り出しました。スバル,マツダクーペ,キャロル,
1962年ついにキャロルを買うときに CB77は 手放す事になってしまった。
そのキャロル360が何とも鈍足 で仲間のコンテッサと交換した半年ぐらいは
2輪足なしだったか? またCS76を乗っていたような?気もする

1963年 MFJが出来た 鈴鹿サーキットが開場した!

第一回アマチュア耐久レースがある
出よう 出ようと悪友にそそのかされて その気になって・・・・・・

買ったのは YDS-Ⅱ
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これで鈴鹿を走った。ライセンスは講習会だけでMFJノービスをくれた。

サーキットを走るなんて最初の最後だったその頃もう有名になっていた生沢 徹
大月信和 達と同じサーキットを走れた事が不思議だ,
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彼等はどんなライセンスだったのだろうか?
とにかくCBは早かった。 それ以来2度とロードレースはこりごり

YDS-Ⅱは 耐久が終わるとすぐに  CL72に化けていた。 ↓
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1963年 サーキットの北側にモトクロス場が併設され 毎週土日鈴鹿モトクロスが
開催されていた。我が家から2時間ぐらいで行けた。 毎週自走で鈴鹿に通ったが
毎回,予選落ちで午前中で帰ってくる  最後のレース昇りでイナバウワーやって・・・・
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以後 CL-72は手放し 車もなしバイクもなしの日々が2ヶ月ぐらいあった・・・・

それも不便なので 何を思ったかヤマハのYG-75?を買った 1966?
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しかし・・・たった2週間で名古屋市北区のヤマハ名古屋支店の隣の
自動車屋にYG-70を持ち込んで 2年落ちのクーラー付きコロナの下取りに・・・
そこでメンテをやってくれていた青年Oを 2輪の世界に誘惑した。1967年
東京オリンピックの3年後の話。 その後彼は 管理職S氏とともに退職して
岡崎でヤマハオートセンタを旗揚げし今は世界のRバロンの中枢である。

多分?1966年 ホンダCS90を買った こいつとは5年間の付き合いになる。
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1972年頃 YA-125を買うまで良く乗り回した大きいMotoには目も呉れず
と言いたいが実は Jazz に熱中だった 
この写真 4月はじめスキーにCS90で志賀高原熊の湯に行った時のもの
まだ。1.5mの残雪だった・・・・スキーに行ったのだから当たり前だよね。
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1957~~1967年のお話は終りです。 バージンBMから御来場の皆様 ↓

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まだまだ 続きます・・・・・是非 ↑へ来て下さい。 
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by sizuo71 | 2006-03-01 00:41 | 1957~1967愛車 | Comments(4)