日本語で言う所の オトキチ へのStartと 道のり
自分のオートバイを中古で買って モーターサイクリスト誌を買って読むようになった
それが オトキチ(オートバイキチガイ) への始まりだった。 1957 春。
たまたま そこに懸賞募集モーターサイクリングの歌の記事があった。
賞金も商品もその時代 としては ビックだった そして作詞しか出来ない私は作詞部門に応募した。
3ヶ月過ぎて 貴殿は入選されたので東京に来なさいと八重洲出版
から はがきが来た もう忘れていたから驚いた!
賞金1万円は 今で考えれば10万以上 副賞品 ブーツ・カワジャン・ヘルメット・ブーツなど等
お金に直すと それはもう 大変でした・・・・
写真右の第二回浅間レースとは 1958に行われる浅間火山レースを指し MCFAJ クラブマン連盟創立の初めての 第一回 クラブマンレース の事を指し。
サイクリングの歌の発表会が即連盟設立準備の 集まりらしく。
歌の歌謡指導 伊藤久男。 1955年度のマン島TTレースの映画鑑賞会と MCFAJの誕生会だった様だ
私もそのとき初めてTTレースを映画を驚きの目で鑑賞した1958 4月だった
東京は春の雪が積もっていた。 23才
浅間 や 信太山MXを知りたい方は 「静じいの昔話」 を見てね!!
「1958年」 はYD-Ⅱで九州へツーリング10時間名古屋~広島に挑戦
スピード違反逮捕で 記録ならず。 25才の春はじめ。
「1959年」 HondaCS76で 四国へ徳島 室戸 高知 四万十 足摺 帰り阿波踊り。
26才。 この年の夏初めて TRIAL に挑戦 2位
モーターフアン,オートバイ,ヤングマシン,Big Bike, 別冊モーターサイクリスト
サイクルサウンズ, 老舗のオートバイ雑誌 すべてに。写真・記事を送るようになり
賞金が・・・・スピード違反の罰金になって消えていった。。
別モ 創刊3号 1979年 「わだち」である (故)酒井文人社長じきじきの来訪だった。
1974年 万沢師匠に代わって サイクルサウンズからエジンバラの 試乗記に明石へ。
38才まだTY250が誕生する前です。 YAMAHAのトライアルインストラクター
として 佐世保, 沼津,高山,へ講師として~ サラリーマンの私が??
どうやって休み取っていたのか? ヤマハの後押しでサンデーファミリートライアル
を 夏以外は毎月やっていた。
しかし 1975年代後半から1993年ぐらいの 約20年ぐらいはオートバイ狂症状
は小康状態で推移してました。 BMWとTRIAL車は 車庫で居眠り状態でした
やがて定年になって。 アメリカツーリングが この ↓記事から,7年続いた。
『モーターサイクリスト 別冊』
念願のTRIAL三昧も ここから始まる 「房総半島の なのはなTRIAL]
そしてイーハトーブトライアル 往復2000kmを 11回 2005まで走り続けた
4年目1クラス上のクラスをめざし。完走ならなかった時の記事。 ↓
そしてこの3人還暦トリオが 迷子になりヒームカを生んだ。
これは2002 SSDTに出る女王のお供をした時スコットランドでの写真です
別モの松尾編集長にカラー2Pあげると言われ
Pre65 をデジカメで写してきたのですが
サイズ不足でモノクロ1Pにされてしまいましたデジカメ写真の勉強をさせられました。
可愛がって頂いた サイクリスト誌 元社長 故 酒井文人さんの遺功集です
お別れの会出席者に後日郵送されてきました。
それと モーターサイクリストの創刊号です
オトキチは本屋さんのお蔭 TRIALはYAMAHA名古屋支店のお蔭の
オトキチ人生でした。
2007年7月 サイクリストの 八重洲出版から 50周年記念の祝い物が届いた
あれ?50周年? もっと歴史ふるいだろ?と思い50年前のサイクリストを調べて
見たら 株式会社 モターサイクリスト出版社 となっていた。
それにしても なんと嬉しい 贈り物
久し振りのバイク雑誌Big Machine
「ようこそ 日本へ」 2008 4月
恒例の 4月 アラスカン ライダース Japan ツーリング が取材をうけた。
トライアンプの本 2010年 2月
48年の付き合いの 英車Triumph から ヒンクレーTRIUNPH に乗り換へ
2018 BMW Motorrad Journal Vol13 5月号
2018 Bike JIN 7月号
・・・・・・・・・
それが オトキチ(オートバイキチガイ) への始まりだった。 1957 春。
たまたま そこに懸賞募集モーターサイクリングの歌の記事があった。
賞金も商品もその時代 としては ビックだった そして作詞しか出来ない私は作詞部門に応募した。
3ヶ月過ぎて 貴殿は入選されたので東京に来なさいと八重洲出版
から はがきが来た もう忘れていたから驚いた!
賞金1万円は 今で考えれば10万以上 副賞品 ブーツ・カワジャン・ヘルメット・ブーツなど等
お金に直すと それはもう 大変でした・・・・
写真右の第二回浅間レースとは 1958に行われる浅間火山レースを指し MCFAJ クラブマン連盟創立の初めての 第一回 クラブマンレース の事を指し。
サイクリングの歌の発表会が即連盟設立準備の 集まりらしく。
歌の歌謡指導 伊藤久男。 1955年度のマン島TTレースの映画鑑賞会と MCFAJの誕生会だった様だ
私もそのとき初めてTTレースを映画を驚きの目で鑑賞した1958 4月だった
東京は春の雪が積もっていた。 23才
浅間 や 信太山MXを知りたい方は 「静じいの昔話」 を見てね!!
「1958年」 はYD-Ⅱで九州へツーリング10時間名古屋~広島に挑戦
スピード違反逮捕で 記録ならず。 25才の春はじめ。
「1959年」 HondaCS76で 四国へ徳島 室戸 高知 四万十 足摺 帰り阿波踊り。
26才。 この年の夏初めて TRIAL に挑戦 2位
モーターフアン,オートバイ,ヤングマシン,Big Bike, 別冊モーターサイクリスト
サイクルサウンズ, 老舗のオートバイ雑誌 すべてに。写真・記事を送るようになり
賞金が・・・・スピード違反の罰金になって消えていった。。
別モ 創刊3号 1979年 「わだち」である (故)酒井文人社長じきじきの来訪だった。
1974年 万沢師匠に代わって サイクルサウンズからエジンバラの 試乗記に明石へ。
38才まだTY250が誕生する前です。 YAMAHAのトライアルインストラクター
として 佐世保, 沼津,高山,へ講師として~ サラリーマンの私が??
どうやって休み取っていたのか? ヤマハの後押しでサンデーファミリートライアル
を 夏以外は毎月やっていた。
しかし 1975年代後半から1993年ぐらいの 約20年ぐらいはオートバイ狂症状
は小康状態で推移してました。 BMWとTRIAL車は 車庫で居眠り状態でした
やがて定年になって。 アメリカツーリングが この ↓記事から,7年続いた。
『モーターサイクリスト 別冊』
念願のTRIAL三昧も ここから始まる 「房総半島の なのはなTRIAL]
そしてイーハトーブトライアル 往復2000kmを 11回 2005まで走り続けた
4年目1クラス上のクラスをめざし。完走ならなかった時の記事。 ↓
そしてこの3人還暦トリオが 迷子になりヒームカを生んだ。
これは2002 SSDTに出る女王のお供をした時スコットランドでの写真です
別モの松尾編集長にカラー2Pあげると言われ
Pre65 をデジカメで写してきたのですが
サイズ不足でモノクロ1Pにされてしまいましたデジカメ写真の勉強をさせられました。
可愛がって頂いた サイクリスト誌 元社長 故 酒井文人さんの遺功集です
お別れの会出席者に後日郵送されてきました。
それと モーターサイクリストの創刊号です
オトキチは本屋さんのお蔭 TRIALはYAMAHA名古屋支店のお蔭の
オトキチ人生でした。
2007年7月 サイクリストの 八重洲出版から 50周年記念の祝い物が届いた
あれ?50周年? もっと歴史ふるいだろ?と思い50年前のサイクリストを調べて
見たら 株式会社 モターサイクリスト出版社 となっていた。
それにしても なんと嬉しい 贈り物
久し振りのバイク雑誌Big Machine
「ようこそ 日本へ」 2008 4月
恒例の 4月 アラスカン ライダース Japan ツーリング が取材をうけた。
トライアンプの本 2010年 2月
48年の付き合いの 英車Triumph から ヒンクレーTRIUNPH に乗り換へ
2018 BMW Motorrad Journal Vol13 5月号
2018 Bike JIN 7月号
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by sizuo71 | 2006-09-24 13:19 | 静じいのオトキチ仲間 | Comments(9)
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aobaka-bike at 2006-09-27 23:09
♪飛ばせ・飛ばせよ・爆音たかく~♪
48年って時間は関係無し、バイクは進化してもオトキチの感性は
同じなんですね。まさに共鳴です。
ところで虎は竜の尻尾掴みました。金曜は天王山ですね。
48年って時間は関係無し、バイクは進化してもオトキチの感性は
同じなんですね。まさに共鳴です。
ところで虎は竜の尻尾掴みました。金曜は天王山ですね。
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静じい
at 2006-10-03 15:06
x
aobaka-san 私は見るに見かねて 私はEUまで 逃避行 ところが
かの地でもBS1 でSport NEWS をやるのです 4:0 でやられた時は 南無三あこまへんと 覚悟をしたの フランスで だっせ~
今日かえって 日本の新聞見たら アラ~ 虎あとすさりしよった。3/10
かの地でもBS1 でSport NEWS をやるのです 4:0 でやられた時は 南無三あこまへんと 覚悟をしたの フランスで だっせ~
今日かえって 日本の新聞見たら アラ~ 虎あとすさりしよった。3/10
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aobaka-bike at 2006-10-03 22:04
おかえりなさ~い。仏でBS見られるんですね~知りませんでした。
ところで虎vs竜 天王山 1勝1敗1流れで中途半端な感じです。
3タテで追撃と目論んでましたが… 今日から相手は広島で
ホームゲーム4連、流れは完全に竜向き。。。ですが諦めませんよ~
ところで虎vs竜 天王山 1勝1敗1流れで中途半端な感じです。
3タテで追撃と目論んでましたが… 今日から相手は広島で
ホームゲーム4連、流れは完全に竜向き。。。ですが諦めませんよ~
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みのり
at 2006-10-07 12:12
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作詞部門で入賞なんてスゴイですね! オトキチっぽさが表現されていたのでしょうね。
みのり さん いらっつしゃいませ 畑違いのバイクの世界へようこそ。
そういえば オードリーとジプシーローズ も畑が違いますね~
私の軍歌の様な作詞を 補作して下さったのは 団塊世代のヒーローかもしれない 赤胴鈴之助の作詞をなさった。 勝 承夫先生ですよ。
そういえば オードリーとジプシーローズ も畑が違いますね~
私の軍歌の様な作詞を 補作して下さったのは 団塊世代のヒーローかもしれない 赤胴鈴之助の作詞をなさった。 勝 承夫先生ですよ。
ほんでもって・・・歌を唄ってくれたのは イヨマンテの夜・・山の煙の
伊藤 久男 でした 1958~59年の オートショウ(当時後楽園)で
テープかレコドか 判らないけど自分の作った歌が流れていたのにはビックリしましたよ。
伊藤 久男 でした 1958~59年の オートショウ(当時後楽園)で
テープかレコドか 判らないけど自分の作った歌が流れていたのにはビックリしましたよ。
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班長
at 2006-10-08 11:09
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あ~昔MC誌のツ-リングレポ-トは良く読みました。
今の若者は国道=酷道を知らないだろうな。
今の若者は国道=酷道を知らないだろうな。
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班長
at 2006-10-13 12:38
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一番下の別冊は我が家にも有るぞ。
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tora
at 2008-05-15 22:30
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